否定するからには代替案があるんだろうな?
あれがダメ、これがダメ。
ってだけ言って終わる奴。
ダメって言うなら代替案を出せ。
それが出来ないならお前の意見を通すわけにはいかない。
それが出来ないならお前の意見を通すわけにはいかない。
と、常々思って生きてきた。
無論、自分が何かを否定する、断る場合も。
ダメと言うからには、じゃあどうしたらいい?まで考える。
そうしないと相手は落とせない。
そうしないと相手は落とせない。
出来ないというなら、じゃあ何ならできる?どこまでならできる?を提示する。
でないと相手も納得できない。
でないと相手も納得できない。
いや、むしろなぜそれで相手が納得すると思う?
自分がそうれやられても納得しないのだろう?
自分がそうれやられても納得しないのだろう?
こんな単純な論理思考が出来ないやつがなんて多いことか。
それも年齢問わず。
嫌だ、そうじゃない、ていう否定は出来るのに、なんで「こうしたい、これが理想」みたいな意見がないんだ。
なんで否定する癖に否定する理由も持ってないんだ。
なんで否定する癖に否定する理由も持ってないんだ。
ここまで、至極当然なことしか言ってないと思う。
でも、当然のことを当然だとぶつけると怒り出す奴もいる。
でも、当然のことを当然だとぶつけると怒り出す奴もいる。
なんて理不尽。
私は性格上、えらいひとが白と言っても、黒に見えれば黒と言ってしまう人間。
これを社会不適合と呼ぶのなら、べつに不適合でも構わない。
これを社会不適合と呼ぶのなら、べつに不適合でも構わない。
相手が誰だろうとおかしいことはおかしいというし、否定するならじゃあ代替案よこせって言う。
それが普通、それが当然、それが自然。
みんな行動原理があって動く。
あんたのわがままの為に動くんじゃないんだよ。
早く当たり前のことが当たり前になる世界にならないものか。
そして、多分、こうやって社会に染まりきることが出来ない人間が生き残らないと、いつまでたっても世の中が変わることもないのだろう。
なんかそう思うからこそ、頑なに社会に不適合でいてやろう、そういう人間が死滅するわけにはいかないってなんか無駄に思ってる。